通勤電車は座れますが、降りる駅までの間に満員になります。
関東の満員電車ほど混んでないので楽勝だと思っていましたが、違うストレスがあると知りました。
座っている側から見た立っている人たち
人は無意識に他人と距離をおいているものだ。これをパーソナルスペースと言うことは、多くの人に知られていると思います。
端っこに座る
電車でのパーソナルスペースの例は、座席は端っこからうまっていくことでしょう。
私も例外にもれず、空いてるなら端っこに座ったいました。
しかし、この端っこの席というのはストレスもあると知りました。
視線を感じる
停車の度に混んでいく車内。
そして空いたら座りたい人は、座っている人の前に立つことが多いでしょう。
私もそうでした。
これって座ってる側からすると結構ストレスです。
立っている人の視線はスマホだけど、視界には私が入っていると感じます。
空いたら座るぞ。
と伝わってくるのです。
毎日同じ電車に乗っていると、私がどこで降りるかわかっている人もいる、とも感じます。
私をみつけると即座に私の前に立つ人もいます。
結構、苛つきます。
降りる駅でもそのまま終点まで乗ってやろうかな、と意地悪なことを考えたりしてしまいます。
謙虚な人に席を譲りたい
稀に座っている私の前に立ったとしても、空いても座る気はない、と感じる人もいます。
こういう人にぜひ席を譲りたい。
もしくは、後から乗ってきた人で、足腰が弱そうな人等に席を譲りたい。
端っこに座るのをやめたら
苛つきたくないので、あるときから端っこに座るのをやめました。
空いているのに真ん中の席に座るようにしました。
その結果は、というと端っこの席狙いの人ほどでもないけれど、やはり席が空くのを待っているな、という人はいます。
できるだけ乗る車両を変えるのですが、それでも私を覚えている人はいて、見つけられると必ず私の前に立つ同年代らしき女性がいました。
あまりにも苛ついて、あるとき我慢できず
「どうぞ、座ってください」
と言い私は席をゆずりました。その方は最初驚いていたものの、座りました。
その日以来、私は乗る電車の時間を変えました。
ストレスなら、立ってればいいのでしょう。立っているのはいいのですが、荷物がとても重いので、自分が座りたいというより荷物を置きたいのです。